twitterをmixiのように使う人
「リプもせずフォローしてくるのやめて」
「鍵垢でフォローしたくせにリプしない人って失礼。こわい」
TLを眺めてると、ときたまこんな発言を目にする。こういうのはmixiで一時期話題になったけど、twitterでもあるんだなーとおもた。客が流れてきてんのか。
でも、よく考えると、twitterはmixiやfacebookよりも発言の恥ずかしさ度は上がるのに、誰でも閲覧可能なんだよな。なんだったらほぼ興味・関係性がなくてもノリでフォローしていいみたいな風潮がある。不思議な立ち位置だ。
RTなんてされたら不特定多数の人につぶやきを見られる。「同期の山田さんかわいすぎるから脳内で犯してやったぜウエッヘッへ(ゲス顔」とかRTされたら死ぬ。社会的に死ぬ。
バカ発見器なんて言われてるけど、140字でつぶやき続けたらどっかに言葉足らずのバカが出てくる。なのにみんな恥ずかしいつぶやきを辞めない。廃人って呼ばれる人達はバカさを競ってる部分がある。言葉遊びでふぁぼをもらうのがtwitterの醍醐味だったりする。
もしかしたら一番コントロールが難しいSNSなのかもしれない。知らない人に恥部を見られたくない人はやらないのが得策。
痛いニュース(ノ∀`) : 「なにも考えずにFacebookで食べ物の投稿を毎日してる方々、アフリカは飢餓で苦しんでます」 北村潤 - ライブドアブログ
翻って、facebookは簡単だ。当たり障りないポストをして「いいね!」ボタンを押す簡単なお仕事だ。しかし、また別種の難しさがある
facebookの料理写真がなぜ問題なのかというと
・オリジナリティの無い人が
・誰にも批判されずに
・最もいいねをつけてもらえるコンテンツで
・見た側はそれを「覚えなければいけない」からだ
twitterと違って、現実のつながりが強いfacebookは、相手のポストをある程度把握しておいて、顔合わせた時に「あのポストみたよ!」みたいな話題をふったほうが仲良くなる。そういうつながりが重宝される。相手もついそれを期待してしまう。
そんなときに料理写真がたくさんあると非常にめんどくさい。なぜおめーの食事をいちいち把握しなくちゃならんのかと。腹減ってないのに食事写真みたくねーし。もっとピンポイントでおめーのパーソナリティがわかるものを見せてくれと。
そういうイライラを「アフリカの子どもたちは苦しんでいるんです!」って形で吐き出したんだと思う。それか正義が暴走しちゃったパターンか。
だって、そんな事言ったってしょうがない。このポストした人も、お腹いっぱいになったときにアフリカの飢餓なんて考えてないと思う。そんなことしてたら永遠に幸せになれないからだ。慈悲と満足のオン・オフができない人を「子供」って呼んだりする。 読み方はガキ。
SNSのコントロールって、社内SNSを普及させようとする動きもあるし、これから重要になってくるんだけどムズい。たぶん「料理関係のポストだけミュートにするchrome拡張」とか出てくるから大丈夫だよ。すごい投げやり。はてなブログの編集機能を試してみたかっただけのエントリなんだすまん。